2007年04月01日
なぜ期間工から社労士か?
人間、目標を見失うと無力になってしまうものだ。
登用試験に落ちた後の私はまさにそうで、仕事にも身が入らず、ミスをしたり、上司と揉めたり、挙句の果てには体調をこわして工場に設置されている診療所で点滴を受けたりした。
診療所のベッドに横たわりつつ考えた。
どうやらここも俺の居るべき場所ではなさそうだ。
胃腸風邪で、熱が38度あっても働かされるところは別にA社だけではないだろうが、こんな状態では仮に次回の試験で成績が良くても面接でアウトだ。
体が弱いなんて、こういうとこでは一番嫌がられる。
そうこうしているうちに正月休みに突入した。
その年最後の仕事日は、折しもクリスマスイブ。
製造ラインは5時で終了だ。しかも労働組合が正門でしるこやら、雑煮やら、おでんやら、振る舞ってくれている。
・・・なんていい会社なんだろう。
すでに背中を向けた相手の長所を見せられるというのは辛いものだ。
家に帰れば帰ったで、嫁はすき焼きを作って、子供は大歓声でお出迎えだ。
なんとも辛い年の瀬だった。
休みの間、私は図書館に通い、独りになって考えた。
これからどうしたものか・・・
話は前後するが、期間工を始める前は6〜7年ウェイターをしていた。
正直、一度はサービスの道を進もうと決意したこともあった。
だが、その業界ほど不況に弱く、労働環境の厳しいところはないということを痛感して、足を洗ったのだった。
ウェイターの前は実はフリーライターだった。
大学を出るときに、結局何がしたいか分からずに、小さい頃から本が好きだったというだけの理由で、とある中小出版社に就職した。
その会社を3年で辞め、実家でそのことを告げた時、母親が言ったものだ。
「やっぱりね。あんたが会社員なんてできっこないと思ってた」
そうか。自分でもそう思ってたが、一番好意的に見るはずの親でさえそう思うか。
フリーライターは嫌で辞めたわけではない。仕事は無くはなかったが、食っていけなかっただけだ。それで仕方なく始めたウェイターの道にはまってしまっただけだった。
まったく、恥ずかしくなるくらい、行き当たりばったりの人生だ。
そうは言っても恥ずかしがってばかりもいられない。今では妻と二人の幼児を養っているわけなのだから。
当時34歳。いまさら未経験の仕事に正社員で雇ってくださいとも言いづらい。
また、仮に雇ってもらえたとしても、年下の上司がいたりする職場で長続きするとも思えない。
それに第一、会社員が向かない性格なのはとうに分かってる。
肉体労働を一生続けられるほど体も強くないし・・・。
一体お前に何ができるというんだ!?
文章を書くのは得意だったな。(←フリーライターじゃ食えないだろ)
勉強はそこそこできる方だったかな。(←塾の先生か。人前で喋ったことなんてないから、やれても家庭教師くらいか。それじゃ食えないな)
ここまで消去法を繰り返して、たどり着いたのが、資格という選択肢だった。
資格の中でも、何年も勉強に費やさなきゃならないような難関資格じゃなく、今から勉強しても何とかなりそうなもの・・・・・・・・・それが社労士だった。
(つづく)
登用試験に落ちた後の私はまさにそうで、仕事にも身が入らず、ミスをしたり、上司と揉めたり、挙句の果てには体調をこわして工場に設置されている診療所で点滴を受けたりした。
診療所のベッドに横たわりつつ考えた。
どうやらここも俺の居るべき場所ではなさそうだ。
胃腸風邪で、熱が38度あっても働かされるところは別にA社だけではないだろうが、こんな状態では仮に次回の試験で成績が良くても面接でアウトだ。
体が弱いなんて、こういうとこでは一番嫌がられる。
そうこうしているうちに正月休みに突入した。
その年最後の仕事日は、折しもクリスマスイブ。
製造ラインは5時で終了だ。しかも労働組合が正門でしるこやら、雑煮やら、おでんやら、振る舞ってくれている。
・・・なんていい会社なんだろう。
すでに背中を向けた相手の長所を見せられるというのは辛いものだ。
家に帰れば帰ったで、嫁はすき焼きを作って、子供は大歓声でお出迎えだ。
なんとも辛い年の瀬だった。
休みの間、私は図書館に通い、独りになって考えた。
これからどうしたものか・・・
話は前後するが、期間工を始める前は6〜7年ウェイターをしていた。
正直、一度はサービスの道を進もうと決意したこともあった。
だが、その業界ほど不況に弱く、労働環境の厳しいところはないということを痛感して、足を洗ったのだった。
ウェイターの前は実はフリーライターだった。
大学を出るときに、結局何がしたいか分からずに、小さい頃から本が好きだったというだけの理由で、とある中小出版社に就職した。
その会社を3年で辞め、実家でそのことを告げた時、母親が言ったものだ。
「やっぱりね。あんたが会社員なんてできっこないと思ってた」
そうか。自分でもそう思ってたが、一番好意的に見るはずの親でさえそう思うか。
フリーライターは嫌で辞めたわけではない。仕事は無くはなかったが、食っていけなかっただけだ。それで仕方なく始めたウェイターの道にはまってしまっただけだった。
まったく、恥ずかしくなるくらい、行き当たりばったりの人生だ。
そうは言っても恥ずかしがってばかりもいられない。今では妻と二人の幼児を養っているわけなのだから。
当時34歳。いまさら未経験の仕事に正社員で雇ってくださいとも言いづらい。
また、仮に雇ってもらえたとしても、年下の上司がいたりする職場で長続きするとも思えない。
それに第一、会社員が向かない性格なのはとうに分かってる。
肉体労働を一生続けられるほど体も強くないし・・・。
一体お前に何ができるというんだ!?
文章を書くのは得意だったな。(←フリーライターじゃ食えないだろ)
勉強はそこそこできる方だったかな。(←塾の先生か。人前で喋ったことなんてないから、やれても家庭教師くらいか。それじゃ食えないな)
ここまで消去法を繰り返して、たどり着いたのが、資格という選択肢だった。
資格の中でも、何年も勉強に費やさなきゃならないような難関資格じゃなく、今から勉強しても何とかなりそうなもの・・・・・・・・・それが社労士だった。
(つづく)