社労士 受験と回想

2011年07月04日

久しぶりにアライツ先生の呼びかけでプロゼミ勉強会に参加してきた。
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kimmasa1970 at 02:30コメント(0) 

2011年04月25日

家内の購入した井出塾のDVDを見た。
労働一般の科目だったが、実に分かりやすい。
そして、できるだけ短い時間で多くの情報を伝えようという意図が感じられる。
受験は時間との戦いなので、DVDひとつとっても、受験生は限られた時間をそこに割り当てている。だから少しでも短い時間で効率良く大事なことを伝えている。
ほれぼれするようなプロの仕事だ。ブログパーツ

kimmasa1970 at 01:12コメント(0) 

2009年11月13日

出産を前に仕事から解放されて暇になったせいか、家内が社労士の受験本を読んでいるのを発見。続きを読む

kimmasa1970 at 19:00コメント(0) 

2009年08月27日

2ちゃんねるを見ていたらこんなスレッドを発見した。
【誤植】真島のわかる社労士被害者の会3刷【回収】続きを読む

kimmasa1970 at 03:03コメント(0) 
今になって気がついたが、先週は本試験だったらしい。続きを読む

kimmasa1970 at 02:48コメント(3) 

2008年11月15日

2年ほど前、合格直後に見習いに行っていた社労士事務所にいたベテラン受験生の事務員さんがやっと今回合格した!! お疲れさん!おめでとう!!

今回は選択式の健康保険法が1点救済で、択一式の合格ラインが48点と高く、合格率は7.5%という低さ(去年は10%超)だった。

そのベテラン事務員さんは実務は流石に良く知っていて、私も分らないことがあるとちょくちょく電話で教えて貰っていた。
見習いに行っていた頃からそうだったが、長年の受験疲れか、あまり覇気がなく、どこか自信の無さそうな態度のために損をしている人だった。
そんな彼も、これで晴れて社労士だ。
しかも、実務は私と違ってバッチリ。
性格的に営業は苦手そうだけど、彼のようなタイプはきっと食いっぱぐれないと思う。彼のような素晴らしい実務家が、社労士事務所には必ず必要だと思う。ブログパーツ

kimmasa1970 at 01:23 

2008年08月25日

本試験の監督を丸一日やってきた。
朝は8:15集合。
愛知の受験会場は名城大学で、結構辺鄙なところにあるので大変だ。
地下鉄出口の脇にある吉野家で朝飯を食べて坂を上る。
スーツ姿なので試験関係者と分りそうなものだが、学生アルバイトらしきチラシ配りの皆さんは予想問題を差し出してくる。

私が担当したのは4号館で、おそらくここでは一番古い試験会場だと思う。
割り振られる受験者の受験番号は一番最後の方で、どうやらこれは申し込み順らしいので、そんなにモチベーションの高いグループではなさそうな感じ。

ガイダンスを終えて、ぐるりと会場を一回り。大体の地理を把握する。
私の担当は監督予備者。要は補欠要員だ。
受験票を忘れた人のために再発行の受付テーブルの前に立つが、館内の表示が分りにくいのか、とにかくよく道を訊かれる。校舎の造りそのものも複雑で、私が朝来るときも少し迷ったくらいだ。
結局受験票を忘れた人はおらず、道案内で喉を枯らして本部へ戻る。お茶とアイスコーヒーが用意されているのがありがたい。

そうこうしているうちに選択式開始。私たち予備者は遊撃隊と一緒に廊下に立ってトイレに立つ受験者をトイレまで案内する。
人員は十分に配置されているので、ほとんどやることはない。とにかく待機。何かあった場合のための要員なのだ。まあ、この日のために一年間がんばってきた人たちのための仕事なので、退屈でも重要だ。

午前の試験が終わると、答案の集計係の方たちが答案をチェックし、厳重に箱にしまう。
会場内担当の方から昼食開始。
「お弁当の質が落ちたね〜」なんて声が聞かれる。そんなにひどい仕出し弁当とは思わなかったが、前はどんな高級弁当が配られていたのか気になるところだ。

午後の試験が始まってしばらくするとまたトイレ対応のためのアテンドが始まる。
トイレに案内する時に、受験者の方に「どうですか?調子は?」なんて、話したくなってしまうが、事前の打合会で固く戒められていたので、喋りたいのを我慢して口にチャック。

旧校舎は廊下は外に開いているので、午後は結構暑かった。
そしてそのまま試験終了。

気付いたのは、欠席者が多いことと、途中で棄権して帰る人が多いこと、居眠りしている人がよくいたこと。
やはりギリギリになって申し込んだ人は、あまりモチベーションが高くないのかもしれない。
私が受験したときには、IDE塾が代わりに申し込みを行ってくれていたので、受験番号も若く、廊下に待合いのあるスバラシイ校舎で受けることができた。
やはり、申し込みはギリギリになってするよりも、さっさと出しておいた方がいいと思う。
あと、予備校のチラシ配りと比べて、結構疲れた。
チラシ配りは、受験者を大声で応援して、気分も高まり、楽しい仕事だが、試験監督は地味に行動しなくてはならないし、受験者を応援することもできないし、何より時間が長い。その長時間、神経を張り詰めていなくてはならないので、実に疲れる。

正直言って、年に一度のお祭りなら、チラシ配りの方がいいかな。試験監督はお金はおいしいけど、退屈できつい仕事だ。
いずれにしても、受験生の皆さんお疲れ様。


kimmasa1970 at 02:04 

2008年08月20日

本試験の監督員の打合会があった。
これを欠席すると監督員をクビになってしまうため、欠席者はほとんどおらず、ホテルの大宴会場がほぼぎっしり埋まっていた。

一時間半ほどで説明は終わったが、とにかく不正の摘発よりも防止に努めて欲しいとのことだ。これはどういうことかイマイチ意味が分からなかったが、こういうことかもしれない。たとえば当日監督員が、どのような態度で見張るか? いかにも真剣に不正を逃さないぞ!という姿勢で見ているのと、いかにも見ていないようなフリをしているのと、どちらが不正の防止になるか? 摘発を狙うなら、いかにも見ていないフリをした方がいい。だが、防止を目的とするなら見ていないフリではなく、見ているフリが必要だ。

いずれにしても、全ての受験者に対して公平に試験が行われることが最も大切なので、最悪、不正を発見した場合には厳正な対処をしなくてはならない。そのあたりの覚悟が必要。

今年も「その日」がやってくる。
去年はIDE塾のチラシ配りを手伝ったが、今年は中で監督する側に回ることになった。
できれば毎年、様々な思い出のある本試験会場でこの日を過ごしたいと思う。

kimmasa1970 at 17:44 

2008年05月10日

新宿労働基準監督署の次長と話した。
実はこの方は以前に同じような家庭教師センターの倒産事案を扱ったことがあるそうで、この間の係員と違って話をちゃんとすることができた。

家庭教師の派遣センターに雇われる家庭教師が未払い賃金の立て替え払いの対象となるためには、その人が労働者である必要がある。
そこで、まず、労働者とは何ぞや?という話。
労働者と良く似ていて、実は労働者ではない職業が世の中には意外と多い。
例えば、請負業者とか仕事を請負う1人親方のような人。
こういう人は、労働者とは言わない。

労働者と1人親方は何が違うか?
・仕事の拘束性(勤務時間中はその仕事に専念しなくてはならないかどうか?)
・指揮命令関係の有無(1人親方は仕事の結果をもたらすことを約束するだけで、その仕事をどのように進めるかは自由。それに対して、労働者は、使用者からいちいち仕事のやり方を指示されて、それに従わなければならない)
・仕事の諾否の自由の有無(1人親方は仕事を受けるかどうかは自分が決められる。労働者は、使用者から指示されればたとえ嫌な仕事でも断れない。例えば便所掃除をやれと言われたとき、労働者はそれが仕事だと言われれば通常断ることはできない。1人親方は、最初から便所掃除の仕事を請負うかどうかは自由)
・代替者性の有無(本人の代わりに他の者が労務提供することが認められるかどうか?)

このような視点で労働というものが定義されている。
だから、社労士試験の労基法でも学んだ通り、家事使用人は労働者とは解されない。
ただし、例外として家庭に派遣される職業でも、それを業として請負う業者に使用される者は労働者となる。

これについては、例えばダスキンのような家庭の清掃を専門に行う会社などがある。
こうした事業所では、毎日決まった時間に出社して、一日何軒もの家庭を回って清掃を行い、業務の最後には会社に戻って機材を片づけたりするのが実態。こうした職業は当然労働者と見なされる。
これが例えば、自分の家で持っている道具を用いて、毎日出社する必要もなく、仕事の発注は電話連絡のみで、仕事が終わった後は自由に直帰できるとしたらどうだろう? 仮にそのような派遣会社があったとしても、「労働者というにはあまりにも自由」すぎるのではないだろうか?

それと、派遣については、事業所への派遣なのか、家庭への派遣なのかもまた、判断材料とされるらしい。やはりこの点も、事業所への派遣であれば業務の中へ入ってゆくのだから、家庭への派遣に比べて自由度は低くなる。

このような視点で家庭教師の派遣を考えたときに、まずほとんどの場合、労働者性が認められることはないという。
センターに派遣される家庭教師という仕事は、「労働者というにはあまりにも自由」だそうである。
それでは、生計維持云々といった当時の説明は何だったのかということもあるが、さすがにそれ自体は15年前のことで、担当した人もすでに退職しているもようで、今のところ確認のしようがない状況だ。
ただ、家庭教師の労働者性を考えたとき、仮にその仕事で生計を維持していたとしても、実態として「労働者というにはあまりにも自由」な状況では、立て替え払いも認められないのが普通だろう。

ここへきて、労働自由というキーワードの非常に強い関連性に気付いた。
労働というものの本質は、自由がないということなのだと。
自由というかけがえのないものを金で売った人(=労働者)については、その賃金や健康を法が守るというのが労働基準法であり労働安全衛生法なのだ。
それに対して、自由がある人(=1人親方)は、自由があるのだから、自己責任で自分の権利を守りなさい、という立場なのだ。

恥ずかしながら、大学生の頃の私はこの重要な概念についてまったく無頓着にアルバイトを選んだわけである。
これがもし、家庭教師でなく、塾の講師であったなら、間違いなく賃金の立て替え払いの対象になっていたはずである。
そして、1人親方として自分の権利を防衛することを意識していたならば、大切な給料を握られてしまう家庭教師センターへの登録がいかに危険かが分かったはずだ。それなりに実績と規模のある家庭教師センターならそうした危険も少ないはずなのに、得体の知れない会社と契約した自分が迂闊だったのだ。

労働とそうでないただの商行為としての請負とは、同じお金をもらうアルバイトでも、とても大きな違いがあるということに、当時の私は気付いていなかった。
おそらく多くの日本人がそうなのではないだろうか?
労働の本質が自由の売却であるということを、うっすらとは感じていても、労働者がいかに大きな保護を受けていて、自由の代償がいかに過酷なものかということまでは普段の生活では考える機会がほとんどない。
だが、それを身に染みて理解することができたのは、5万円を踏み倒された痛みのお陰かもしれない。

労働契約・・・契約の当事者の一方が相手方に労務に服することを約束し、相手方がこれに対して報酬を支払うことを約束する契約

請負契約・・・契約の当事者の一方が相手方に仕事を完成させることを約束し、相手方が仕事の結果に対して報酬を支払うことを約束する契約

労働→仕事の結果ではなく、仕事への取り組みが目的
請負→仕事のやり方は自由。結果に対してお金が支払われる


kimmasa1970 at 05:02 

2008年05月03日

新宿労働基準監督署に電話してみた。
電話に出た若い男に内容を話してみるが、いかにも煙たげな対応。15年前なんて資料も残っていないし、当時の担当者も今はいないので、調べようがないという一見まともな言い分だが、私はそんなことでは引き下がらない。
なんとかして諦めさせようとする電話口の相手(もしかすると行政協力の社労士かも? 話しぶりからはそれほど労働基準法に精通している感じがしない)に対し、釘を刺す。
「あなたの職権で今すぐ資料が残っていないなんて言い切れるのですか? 確かにお金そのものは時効かもしれませんが、私は当時の処分が適正だったかどうかを確かめたいだけなんです。それに対していいかげんな対応をすると、後々事が大きくなった場合にあなたが困ることになるかもしれませんよ」
私も3ヶ月役人と顔を突き合わせて仕事をしてきたので、彼らの弱点は良く知っているつもりだ。少しでも協力を惜しもうとする役人には、納税者としての強権を振るうのが効果的である。
「過去に実際にあった行政処分について、納得がいかないから相談をお願いしているだけなんです。新宿監督署としてはそれには協力できないと仰るのですか?」
それまでは役所の権限を笠に着て偉そうな口を訊いていた相手の態度が変わった。
「・・・それではどうすることをお望みなんですか?」

私は当時その事件を担当した可能性のある監督官を可能な限り調べて貰うようお願いした。
そして生計を維持していないという理由で立て替え払いがされなかった点については、監督署長に意見を聞きたいと伝えた。

電話を替わったのは次長の女性。私は当時の事情を話してみた。
次長の話では、家庭教師派遣センターという業態が生まれたのが丁度その頃で、当時はまだ労働者派遣法もなく、そのような形でのアルバイトが「使用者の指揮命令下」という点で労働に該当するかどうかという議論が盛んに行われており、そんな中、中央から通達があり、センターに派遣される家庭教師については、総合的な実態に基づいて判断せよということになったらしい。

なるほど。つまり当時立て替え払いがなされなかった理由としては、家庭教師は労働者ではなく、請負だと判断された可能性があるようだ。
しかし、腑に落ちない点はまだある。
当時の監督官の説明では、「生計を維持しているかどうか」が論点になっていた。これは労働者性云々とは関係ないはず。しかも、当時学生でなくプロの家庭教師としてその給料で生活していた人に対しては立て替え払いがなされたと当時の監督官から聞いた。
家庭教師の労働者性について、正しく判断がされていたとしたら、このようなことはありえないはずだ。
私は今でこそ役人だって間違えることがあるという認識を持っているが、当時はさすがにそこまで考えなかった。ましてや、社労士の勉強をしていたわけでもなかったので、労働基準法なんて知らなかった。
あの時、もう少ししつこく食い下がって、もっと色々調べていたら、もしかしたら判断がひっくり返ったかもしれない。

とりあえず、次長との電話は仕事の関係で途中にせざるをえなかったが、当時の監督官については可能性のある人をリストアップしてもらった。
その人は当時20代か30代の女性だったので、今では姓が変わっている可能性もあり、しかも監督官は全国の労働局に転勤があるため、6〜7人の人が候補として挙がったが、いずれも別人のようで、当時担当した監督官に連絡をとることは結局できなかった。

いずれにしても、家庭教師が果たして労働者性を認められるのか、認められないのか、認められるとしたらどんな場合なのか、せめてその判断基準を知りたい。
少なくとも、総合的な実態などという言葉ではなく、もっと現実的にイメージできるような形で捉えておく必要があると思う。

当時の状況としては、確かに指揮命令下という点では弱いかもしれないが、年端もいかない大学生からピンハネして派遣するというスタイルが、対等な商行為としての請負契約と言えるのかどうか? たとえば、タレントなども、既に名の売れた歌手や女優なら請負関係とみなされるが、年端もいかないアイドル歌手なんかは、労働者とみなされて最低賃金法や、労働基準法が適用になる。そういう点から考えれば、大学生の家庭教師派遣は、保護すべき労働者とするのが適当ではないのだろうか?(つづく)


kimmasa1970 at 01:14 
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