名刺
2008年01月22日
私はいつも自分のパソコンで、フリーソフトを使って自分で名刺をデザインしている。
「たまに異業種交流会なんかに行くと、いかにも手作りって感じのフチがザラザラした名刺をくれる人がいるけど、なんか貧乏臭いよね。名刺なんて、そこらの印刷屋に頼んでも大したお金は掛からないのに、そんなことまでケチらなくてもいいのにね」
こんな話を聞くことがあるが、私はそうは思わない。
確かに10枚1シートの用紙を使ったりするとフチにミシン目が残ってしまうが、一枚一枚印刷するタイプの用紙を使えばそんな心配はない。
ちなみに私が使っているのはこのタイプ。
なっとく名刺
まあ、私のように名刺に凝る人でなければ、印刷屋に頼むのも確かにいいかもしれないが、自分で好きなようにデザインを変えたり、何種類も作るには自前のパソコンでやるのが便利だと思う。
リーズナブルに、しかもオリジナリティあるものを作れる。私は断然、自作派だ。
「たまに異業種交流会なんかに行くと、いかにも手作りって感じのフチがザラザラした名刺をくれる人がいるけど、なんか貧乏臭いよね。名刺なんて、そこらの印刷屋に頼んでも大したお金は掛からないのに、そんなことまでケチらなくてもいいのにね」
こんな話を聞くことがあるが、私はそうは思わない。
確かに10枚1シートの用紙を使ったりするとフチにミシン目が残ってしまうが、一枚一枚印刷するタイプの用紙を使えばそんな心配はない。
ちなみに私が使っているのはこのタイプ。
なっとく名刺
まあ、私のように名刺に凝る人でなければ、印刷屋に頼むのも確かにいいかもしれないが、自分で好きなようにデザインを変えたり、何種類も作るには自前のパソコンでやるのが便利だと思う。
リーズナブルに、しかもオリジナリティあるものを作れる。私は断然、自作派だ。
2008年01月21日
そろそろJCのブロック協議会があるので、何度目かの名刺の改訂をしてみた。
これまでも、名刺づくりには割とこだわっていて、わざわざカメラマンを探して写真を撮って貰ったりして相当インパクトのあるものができていたのだが、今回は某アート系専門学校から紹介してもらったまんが家志望の学生さんにイラストを描いてもらったので、より一層素晴らしいものができた。
これなら絶対笑って貰えると思う。
元々私は顔が怖い方で、ホテルで働いていた頃には「お前はウェイターには向かないからさっさと転職しろ!」とよく上司から叱られており、実際その通りに転職してしまった(笑)わけだが、こんな顔でも上手に描いてもらうとそれなりに面白いイラストになるから不思議だ。
面白い名刺を作ったから仕事が取れるというわけではないのだが、結構好評なのでついそっちの方向で遊んでしまう。こんなことで大丈夫だろうか・・・
これまでも、名刺づくりには割とこだわっていて、わざわざカメラマンを探して写真を撮って貰ったりして相当インパクトのあるものができていたのだが、今回は某アート系専門学校から紹介してもらったまんが家志望の学生さんにイラストを描いてもらったので、より一層素晴らしいものができた。
これなら絶対笑って貰えると思う。
元々私は顔が怖い方で、ホテルで働いていた頃には「お前はウェイターには向かないからさっさと転職しろ!」とよく上司から叱られており、実際その通りに転職してしまった(笑)わけだが、こんな顔でも上手に描いてもらうとそれなりに面白いイラストになるから不思議だ。
面白い名刺を作ったから仕事が取れるというわけではないのだが、結構好評なのでついそっちの方向で遊んでしまう。こんなことで大丈夫だろうか・・・
2007年12月22日
この半年余りでたまった名刺の数、443枚。
年賀状は大事な人脈のケアだが、どの人脈が大事でどの人脈が無意味で、どの人脈をメールで済ますか? そういうことを考える良い機会だと思う。
名刺のデータと画像は、既に名刺管理ソフトでデータベース化してあるので、いちいち名刺を探したり入力したりという手間はないのだが、ひとつひとつの名刺画像を眺めながら思い出してみると、実際にその名刺が人脈として生きてくることが意外と少ないことに愕然とさせられる。
「去る者日々に疎し」
人間の記憶というものが、自分で思っている以上に速いスピードで失われていくことを実感する。
ただ、そんな中でも、過去に強いつながりを築いた友人とは、たとえ年に一度の年賀状の交換でも、すぐさま暖かい感情が蘇ってくる。
ここから何が分かるか?
大事なのはどれだけ多くの人と知り合うかではない。
半年で記憶から消えていってしまうような人脈がどんなにたくさんあっても無意味だ。
しっかりとお互いの心の中に人間像が定着し、信頼関係ができるレベルまでいかないとダメだということ。それには相性も大事な要素だろう。
出会いを大事にするというのは、誰とでも付き合うということではなく、出会った人の中から、これはという人脈をしっかりと見極めることだ。
モノを整理するのと一緒で、人脈も、「要らないものは捨てる」
ただし、潜伏期間というものがあるので、労力の許す範囲で簡単な人脈ケアをしておくことも有効だ。もしかしたら後で芽が出るかも知れないというレベル。ただこれも、費用対効果で考えるとほとんど無意味なことが多い。メールで十分だろう。
年賀状は大事な人脈のケアだが、どの人脈が大事でどの人脈が無意味で、どの人脈をメールで済ますか? そういうことを考える良い機会だと思う。
名刺のデータと画像は、既に名刺管理ソフトでデータベース化してあるので、いちいち名刺を探したり入力したりという手間はないのだが、ひとつひとつの名刺画像を眺めながら思い出してみると、実際にその名刺が人脈として生きてくることが意外と少ないことに愕然とさせられる。
「去る者日々に疎し」
人間の記憶というものが、自分で思っている以上に速いスピードで失われていくことを実感する。
ただ、そんな中でも、過去に強いつながりを築いた友人とは、たとえ年に一度の年賀状の交換でも、すぐさま暖かい感情が蘇ってくる。
ここから何が分かるか?
大事なのはどれだけ多くの人と知り合うかではない。
半年で記憶から消えていってしまうような人脈がどんなにたくさんあっても無意味だ。
しっかりとお互いの心の中に人間像が定着し、信頼関係ができるレベルまでいかないとダメだということ。それには相性も大事な要素だろう。
出会いを大事にするというのは、誰とでも付き合うということではなく、出会った人の中から、これはという人脈をしっかりと見極めることだ。
モノを整理するのと一緒で、人脈も、「要らないものは捨てる」
ただし、潜伏期間というものがあるので、労力の許す範囲で簡単な人脈ケアをしておくことも有効だ。もしかしたら後で芽が出るかも知れないというレベル。ただこれも、費用対効果で考えるとほとんど無意味なことが多い。メールで十分だろう。